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「朽ちていった命 -被曝治療83日間の記録-」 NHK「東海村臨界事故」取材班

1999年9月30日に茨城県東海村で起こった、臨界事故。
ステンレス製のバケツでウラン溶液を扱っていた作業員が被曝。その方は放射線医学総合研究所(放医研)に運ばれたのち、東大病院に転院し、治療を受けた。その方の命がまさに「朽ちていく」様子を記録した本。


作業中に臨界に達し、防護装置のない「裸の原子炉」が突然できてしまったのだという。東海村は事故現場から半径350メートルの住民に避難を要請、茨城県は半径10キロ圏内の住民に屋内退避を指示した。
JCO社員による対応で、19時間40分後、臨界が収束。

大内氏の被曝量は8Svらしい。臨界直後に嘔吐、気絶。しかし病院に運ばれた時は意識があり、体も日焼けしたように少し赤くなった部位がある程度で、どの程度深刻なのかは分からなかったらしい。が、これだけの被曝量があっては命は助からない、東大病院に運んだところで助けられる見込みのない"負け戦"なのだそうだ。
それでも、東大病院の前川医師は様々な診療科の医師を集めてチームを組み、大内氏を治療した。

状況が好転することはなかった。
強烈な放射線を浴びた体は、細胞を再生できなくなっていた。普通なら体の内側からは新しい細胞が作られ、古くなった表皮細胞は剥がれ落ちる。でも大内氏の体は新しい細胞を作れない。表皮が徐々に剥がれ落ち、失われ、体の組織が露出する。露出した体組織からは体液が浸み出ていく。その量は1リットル、2リットル。。。と増えていく。妹さんから造血幹細胞を移植したが、それもうまく働かなかった。
水分を補給し、栄養を点滴で入れ、輸血もして。。。何をしても、現状維持すらできなかった。朽ちていく命を救えなかった。


痛々しく、つらい記録。


福島が、こうなるわけではない。これは高い放射線量を一度に浴びた場合の記録。おそらく広島や長崎の原爆の症状と似ているのだろう。福島は、それとは違う。でも、どう違うのか分かっていない。

ちなみに、このとき治療を担当した前川和彦医師は、後に原子力安全委員会が「緊急被ばく医療のあり方について」というガイドラインを出す際に中心となっていたのだそうだ。「人命の尊重は最優先されるべきであり。。。」などという言葉が並んだガイドライン。
う~ん。。。事故から12年。改善されていない。人命最優先になっていない。
しかもちょっとネットを覗いたら「原発御用学者リスト」なるものにこの医師の名前が。
被爆者につきっきりで治療してきたその医師が、原発安全だの推進だの言ってるの?

なんか原発の闇ってものすごい。。。

★★★★★

朽ちていった命―被曝治療83日間の記録 (新潮文庫)

新潮社


by studio-yaya | 2011-09-14 10:51 |  

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