We shall overcome

1960年代、アメリカの公民権運動の中で歌われた歌。
元々は"I shall overcome"という歌だったそうだけれど、サウスカロライナ州チャールストンで起きたタバコ労働者のストライキの時に、主語が私(I)から私達(we)に代わり、それが様々な場面で歌われるようになった。公民権運動が盛り上がる中、時にはストライキの場で。時にはデモ行進で。時には、公民権運動の中で命を落とした誰かの葬列で。"We will win our rights"(私達は権利を勝ち取ろう)、"We are not afraid"(私達は恐れない)と歌われたこともある。
ピート・シンガー、ガイ・キャラワンといった人が南部の様々な州をめぐり、この歌を広めていった。

一昔前のアメリカでの黒人差別は、今のアメリカと比べると、とても信じられないものだ。黒人は白人と同じ設備を使えない、粗末な黒人用トイレ、黒人用洗面台、黒人用の学校を使わされる。バスでは黒人は白人に席を譲らなくてはいけない。さしたる理由もなく黒人は暴行を受け、殺され、でも警察は助けてもくれないし、大した捜査もしてくれない。
公民権運動の中でも、多くの人が命を落とした。権利を主張し始めた黒人を嫌った白人は、黒人たちの主張に賛同して抗議行動に参加した白人をも攻撃した。運動の中で黒人が殺されても大したニュースにはならないのに、運動に協力した白人が殺されると大きなニュースになった。これは何なんだ?と疑問と怒りを抱えながらも、黒人たちは運動を続けていった。


私がアメリカに住んでいた頃、白人と黒人は同じ街に共存しているように見えた。スーパーでもレストランでも、黒人や白人や南米系の様々な人種が一緒に働いていて、笑顔で言葉を交わしていた。黒人と白人のカップルを見ることもあった。白人のお客さんが黒人の店員に"Yes, sir"と丁寧に答える場面も見かけた。でも、白人が通う教会と黒人が通う教会は基本的には分かれていた。21世紀の今でもね。



今、ゴスペルサークルでこの"We shall overcome"を歌っている。アカペラで厳かに歌ったり、アップテンポのノリノリのアレンジで歌ったり。
シンプルな言葉とメロディを繰り返すこの歌は美しく、耳に残る。そして、大人数で繰り返すうちに、映画で見た黒人教会の様子が頭に浮かぶ。ゴスペルは、アメリカの黒人たちの音楽だ。字も楽譜も読めない人でも歌えるように、教会のミサでは簡単な詞とメロディを繰り返した。単純な繰り返しの中に、トランスミュージックと同じような恍惚状態が現れたんじゃないかと思う。自分も歌いながら、そんなトランスに向かうような盛り上がりが部屋に満ちていくのを感じた。
かつて命を懸けて公民権運動に参加した人たちの思いには、とても及ばないだろうけれど。このシンプルな歌が持つ強い力、抱えている重い背景を感じながら、しっかりと歌い継いでいきたい。


We shall overcomeという歌はこちら(色んなアレンジがありますが)。↓



興味がある方は、この歌にまつわる動画をどうぞ。↓




さらにお時間ある方は、公民権運動にまつわる動画をどうぞ。↓


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by studio-yaya | 2015-11-08 23:17 | 日々のできごと | Trackback | Comments(0)  

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