もう2年、まだ2年

3.11から2年。
大きな悲しみを感じた。不条理と怒りを感じた。ささやかな寄付、ボランティア活動をした。そして、2年。私は震災前と同じこの街で暮らしている。
学生時代を東北で過ごした私にとって、被災地は第二の故郷。今も友達が住んでいるし、震災直後は大丈夫か?あの場所なら津波が来たんじゃないか?と心配したりもした。忘れまい、忘れられるわけはない、という気持ちはある。でも現地から届く情報はあまりに少なく、普通に暮らしている友人もいれば、仮設住宅で将来の見通しが立たないままただ生きてるだけの人もいる。

被災地に復興のための資金が届いておらず、中央の大企業ががっぽりさらっている。
調整がうまくいかず、街の復興計画が進まない。進まないから、家を建てていいのか、店を再開していいのか、仮設の仮店舗でいつまで営業していけるのか、先が分からなくて不安が消えない。
放射能が心配で、引っ越した人がいる。仕事を離れられないパパを残してママと子供だけが引っ越したケースも多い。原発のごく近くを除いて、何の保証もない「自主避難」とみなされる。単なる引っ越しと片付けられて、何の補償も受けられない。
除染は捗らない。除染しても時間が経てばやっぱり線量が上がるから、延々と除染を繰り返すしかない。それは降り注ぎ続ける放射性物質を他へ流す"移染"でしかないんだけど、そこに住みたいなら移染を続けるしかない。賽の河原のような、先の見えない作業。

2年も経ったのに、復興住宅は56戸しか建てられていない。
2年も経ったのに、30万人以上がまだ避難生活を送っている。

2年しか経ってないのに、すっかり過去のこと、終わったことのように思っている人もいることだろう。
2年しか経ってないのに、防災グッズをどこに置いたか忘れてたり、そもそも揃えもせずに暮らしている人もいるだろう。

悲しみも怒りも、抱き続けるのはつらい。しんどい。だから忘れようとする。でも、心のどこかには置いておいてほしい。自然の脅威の前では人間なんて無力で、想定外の力で命を奪っていくことがあるってこと。それでも出来るだけのことをして、自分や家族を守っていかなくちゃいけないってこと。自分で守るしかないってこと。そして、少しでもいい、余力は困っている誰かのために。


無くなられた方のご冥福をお祈りします。
大切な人、物を失った方が、2年の間頑張ってこられたことに敬意を表します。
[PR]

by studio-yaya | 2013-03-11 12:19 | 日々のできごと | Trackback | Comments(0)  

トラックバックURL : http://studioyaya.exblog.jp/tb/20135304
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。

<< 食べざかり 子宮頸がんワクチン、いらないでしょ >>